澄み渡った風が、街中の建物と建物の間をすり抜ける。
 この街特有の、トマトスープの甘い香りが全体を包む。暖かい。
 例年、トマトの生産率が最も高く、商店街を通って見れる食品店のメニューと言えば、ミートソースやトマトが主の野菜ジュース、まるごとトマト一キログラムなんて物もある。
 平穏で豊かな街であった。
 しかし、少年は感じた。いつもと雰囲気が違っているという直感を。気持ちいい風のはずなのに、空はどんよりと曇っていて太陽の光が差し込まず。まだ真昼なのに、日が沈んだばかりの夕空よりも、暗い。
 黙って口を引き締めて、少年は辺りを見回す。まだ平気だ、だいじょうぶ。その趣は、幼き少年の顔とは似つかない大人の表情をしている。いまにも怖くて腰が抜けそうな気持ちをおさえて、ひとつの細長い棒のような物を、抱き締める。
 急がなきゃ。どっか、あいつらの手の届かない所まで……!
 決意を固めた時、引き締めた口が不自然に綻びた。涼しく爽やかな風が、急に生臭く、気持ち悪く、燃えるような暖かさが込められた風が、少年の頬を舐めて過ぎ去ったからだ。
 いけない、急がないと!
 声を出す事すら、忘れていた。
 振り向かずに走る、それはまるで狂った狼のように。しかしそれには理由がある。もちろんだ。少年の後ろから女性や小さな子供の悲鳴が上がり、たちまち明るい街の雰囲気が汚れた。現実から背き、細長いなにかを握り締めたまま、少年は街外れへと走りだす。
 振り返っちゃ、駄目なんだ。ぼくは……ぼくは、逃げられないんだ。だから、いま逃げなきゃ、駄目なんだ。
 感情をおさえる事。そして、自分のやるべき事を貫かせるために。少年は街の入り口の門を見据えた。
 ここを出て、落ち着いて、それから考えなくては……。
 幼い少年が街の外へと逃げだした。それを目撃していたのは、不自然に姿勢のよい座り方をする、一匹の黒い猫だけであった。





 港の海岸から流れてくる潮風を感じながら、ラクヤは空を見あげた。
 北側のカイルの街の方角は、雲行きが怪しい。どす黒く密集した雲が、いまにもここに流れてくるのではないかと思わせられるほど恐ろしい。
 白く濁った息を吐き、軽く深呼吸をする。ラクヤは向かう先へと歩きだした。
 誰かのおさがりなのか、それなりに着込んである服を身に包んでいる。上着にくっついているフードを被り、真冬の寒さを改めて実感していた。
 港街アプラス。潮風によって海の匂いが運ばれてくる、地図にも載らない素朴な街並びがひっそりと存在する。ラクヤはこの港町には住んでおらず、人里から少し離れた大きな家に一人暮らしをしている。
 海岸沿いを歩いていけば、ステンドグラスの窓を持つ教会がある。ラクヤは、教会で牧師をしているパブロ神父に長らくお世話になっている。今日も礼拝時にある祈りを捧げるために向かっていた。
 道端にある一軒の家から、ひとりのおばさんが玄関を開けて外へ出てきた。ラクヤの顔を見ると、親しげに挨拶してきた。
「ラクヤ、大きくなったわねぇ〜。」
「……どうも。」
 会話はとても短いものだった。話す事がなかったからだ。ラクヤは、一礼をして先を急いだ。
 もう少しで教会に着くはずだった。ラクヤは、ふと何気なく海とは反対側の森周辺を眺めていると、ひとりの少年が寝転がっているのに気がついた。街自体は寂れていても、自分の家に住めない人はいない。考えるよりも早く、ラクヤの足が少年の元へ動いていた。
「……う、あ、あぁ……。」
 少年は、うめいていた。転んでできたような痣や、火傷のような皮膚のただれている所もある。あちこち解れてボロボロの服には、火薬の匂いもこびりついている。おまけに、布に包まれた細身の剣まで携えている。どこかから逃げてきたのだろうか……?



「それはご苦労だった、ラクヤ。」
 腰を落ち着かせ、パブロ神父はラクヤにそう伝えた。
 教会のベッドに丁寧に寝かされている少年。服こそは着替えさせていないものの、怪我の応急処置はパブロ神父が済ませている。顔色も先程より良くなっており、少年はぐっすりと眠っているようだ。
「……別に。」
 気のない返事を返すラクヤに、パブロ神父は小さくため息を吐いていた。
 ラクヤは口数が少ない。なにか用がない限り、自分から滅多に話し掛ける事はない。彼を知っている者ならば誰でも知っている。一人暮らしが続いているせいか、いつしか彼の心を変えていた。まだ幼さの影が残る顔をしているが、早くに両親を失っているために、大人びているように真一文字に唇を引き締めた渋い表情をしている。無愛想とも表現できそうなくらいだ。
「……う、ん……?」
 沈黙を破ったのは、ラクヤに連れてこられた少年の寝ぼけ声だった。少年は辺りを見回し、この場が一体どこなのか把握できていないようで呆けている。
「気がついたかの? お前さんは、道端で倒れていたのだよ。」
「道端。」
 パブロ神父の話した言葉を、オウム返しにして少年は呟く。言葉を口にする事で、いま現在の状況を確かめるかのように。
「……逃げた、ぼくは……逃げたんだ。あいつらの手の届かない所へ……そうだ!」
 意識が完全に戻り、少年は傍にいたラクヤの両腕をむ強く掴む。
「ダークマター!! 危ないんだ、あいつが……みんな、みんな殺しちゃうよっ!」
「なんだと、ダークマター!?」
 聞き覚えがあるのか、パブロ神父は声を張りあげてすっ飛んでいった。腕をつかまれたままのラクヤは困惑した表情で、少年とパブロ神父を徐に見張った。
 本棚から重そうな本を抱え込んで、パブロ神父はベッドの前の小さなテーブルの前にどさっと置いた。具合の悪い腰を手で抑えながらも、パブロ神父は本のページを開く。ちょうど真ん中ぐらいを開いたところで神父の手が止まる。そのページに書いてある見出しは、心衝王(しんしょうおう)ダークマター。
「人の醜き心へと入り組み、その者を奈落の底へと突き落とせし魔王。故に、心の衝動を揺るがす存在として心衝王と命名。かつて心衝王に世界を乱されし時、神から授けられし武具を駆使し封印……だと?」
 腕を放してもらい、記されてある説明を読みあげて、ラクヤは少年の顔を見た。
「一体どうして、過去に封印されたダークマターが復活したんだ?」
「わからない……。」
 少年は首を振り、俯いた。
 パブロ神父はすぐに別の情報を求めに、違う部屋の本棚へ駆けてゆく。
 残されたラクヤは、ダークマターの説明書きを注意深く読んでいた。少年のダークマターが復活したという口振りを信じ切れていなかった。だが、怪我をしてた少年の様は只事ではないというのも分かっていた。長きに渡って戦争の前兆ともいえる事件も起きておらず、ましてや都心とは無縁なほど離れている。ラクヤは、なにか見落としていないか念入りに黙読する。
 姿や形を記した絵。その昔にダークマターの犯した、数々の歴史。どうして、現れた原因は書かれていないんだ。
「ぼく、ミズキ。きみは?」
 少年ミズキが、唐突にラクヤに話し掛けた。本から目を離し、ラクヤは徐に口を開く。
「……ラクヤだ。」
「ラクヤ、ぼくにはあいつが復活した訳はわからない。でも、このまま放って置いたら、ぼくらの身も危険なんだ。……国の戦争部隊を操って、あいつはぼくの村を襲った!」
 覇気が失せ、ミズキは掛け布団を両手で強く握り締めた。悔しさ。ラクヤは、ミズキの悔しさを感じ取った。きっと、ダークマターの仕掛けた敵に対し、やられっ放しになってしまった己が、この上なく悔しいのだろう。
 ラクヤは、こういう時にどう気を使えばいいのかが分からなかった。頭の中に巡る中で、的確な言葉が見つからない。ラクヤは首を振って本を優しく閉じた。
「ミズキ、今夜は俺の家に泊まりにこないか?」
「……うん、そうさせてもらうよ!」
 その後、教会での仕事を終えたラクヤはベッドで休ませていたミズキを呼びにゆき、彼の家へ向かっていた。
 結局手掛かりは、ダークマターを倒すための物は神の力を持つ武具だけだった。港街という辺境では大した書物も情報もないのだそうだ。途方に暮れたミズキを連れて、ラクヤは無言で道を歩いていた。
 しばらく海岸沿いを歩いていたが、方角が変わり内陸へ入った頃だった。
「赤い。」
 ラクヤは目前に広がる空を見て、ぽつりと呟いた。
 西の空だった。夕日が沈む直前で夕闇に染まっているはずの空が、真紅のバラよりも濃く、血のように赤黒い。ラクヤにとっても、ミズキにとっても見た事のない色だった。
「昨日までは、こんな気味の悪さなんて感じなかった……。」
「ぼくは、以前に都心の方で見たよ。でもこんなに赤くなかった。」
 ミズキは首を小さく振り、唇を引き締める。
 ……やれるのは、ぼくだけなんだ……ぼくがやらなきゃ、ならないんだ。逃げられないんだ……。
 密かに握り拳を作るミズキの傍に、一匹の黒猫がぼうぼうに生えた草陰から顔を出した。
 その黒猫の目は光り輝く金色ではなく、充血した目よりも赤く鋭い視線をミズキに向けた。草が掠れた音で気がつき、黒猫へと首を動かしたミズキは悲鳴にも似た声を小さく上げた。
「どうした?」
「……見て、この猫。」
 怯えながらも指を刺してラクヤに教えた。全身真っ黒の毛並みに、赤い空と同等の色をした目。どちらも現実の物とは到底割り切れず、ミズキは身体を刻ませた。
「は、早く帰ろうよ……ね、ラクヤ。」
「……。」
 ラクヤは、合わせてきた黒猫の赤目をしばらく見続けた。見れば見るほど、猫らしくない。なにか特別な事がない限り興味をほとんどそそらないラクヤが、猫と睨み合いを続けている。
「ねえ、ラクヤってばぁっ。」
「そうだな、……行くか。」
 やっと足を動かしはじめたラクヤに、ミズキはほぅっと軽く息を吐いた。



 翌朝、空はいつもの透き通った青に戻っており、空気も濁ったような匂いもなく澄んでいる。
 いつもより早く家を出たラクヤは、パブロ神父のいる教会へと向かっていた。無言で早々と歩く彼の後ろには、ミズキの姿がある。
 なにか喋りたそうに口を尖がらせながらラクヤの背中を見あげるミズキだが、結局言葉が交わされる事などない。
「ラクヤ、なにか話そうよぉ。」
 沈黙に耐え切れずとうとう話し掛けたミズキに、返ってくるはずの返事はない。
 ミズキはむーっと可愛らしげに唸りながら、足を止めたラクヤを見据えた。
「ラクヤってさ、暗くない? 喋らないし、喋ったとしても一言二言だし。」
「俺は普段と変わらない。」
「いや、そおゆうこと言ってるんじゃなくて……。」
 沈黙が嫌なだけなんだよ。でないとぼく、押し潰されそうになるんだ。
 声を籠もらせて、ミズキは振り返ったラクヤから目線を外した。ラクヤは軽く首を傾げながらも、行くぞと一言だけ伝え、先を歩いていった。
 ラクヤは、教会の厳かな扉を開いた。時間的な問題なのか、出迎えにこなかった神父を探す。
 パブロ神父は、仕事机にうつ伏せになって居眠りをしていた。ラクヤはどう声を掛けたらいいか顔には出さずとも戸惑いを起こしていると、後から入ってきたミズキが神父の肩をぽんぽんと軽快な音を立てて叩いた。
「神父さま、起きてよおきて! こんな所で寝たら風邪引いちゃうよ?」
 ミズキの呼び掛けにより、神父は目を覚ますとがばっと身体を勢いよく起こした。
「おお、ラクヤにミズキか! という事は、既に日が昇っておるのかの?」
「ううん。ぼくたち早朝に出発してきたから、まだ肌寒いよ。」
 ミズキが言った通り、外の風が部屋の中を通り過ぎる。確かに冷たい。
「……あ。玄関開けっ放しにしてきちゃった。閉めてくるね。」
 言いながら、ミズキは単身ふらふらと玄関へ戻ってゆく。怪我がまだ完治していない事を気づかい、ラクヤはミズキの背をこっそりと追った。
 扉は、確かに開いたままだった。しかし、ミズキが手を触れる前に扉がぐいっと開け放たれた。
「ニャアォ。」
 昨日いた赤目の黒猫が、まるで人間が猫の鳴き真似をしたような喋り方をした。
「うわあっ!」
 声を上げてたじろぎラクヤの背後に回りこむミズキに、黒猫は冷ややかに笑い声を上げた。猫族のものではない笑い方が、ラクヤの顔色を変えた。
「クックックッ。子供は賑やかでなかなか味わいがある。」
 すぐに戻ってくるはずのラクヤ達が帰ってこない事に気づき、やってきたパブロ神父も黒猫から発せられた人間の言葉に、驚愕の表情を見せた。
 思う壺だと言わんばかりに、黒猫は不適な笑みを見せながら舌で口元を嘗め回した。
「人間は、儚く脆い生き物だ……こんなトコロまで逃げ切れたお前は幸せ者ではないか、ミズキよ。」
「ぼくの名前、どうして……。」
 ラクヤの腕を掴むミズキの手の力が強まった。
 不審に思ったラクヤは、黒猫の赤目をじっと見続けた。やはり、赤い。ラクヤの心の奥底にしまっていた記憶が呼び覚まされる、血の真紅。
「……貴様は、ダークマターとやらなのか?」
 ラクヤの言い様には、僅かながらの憤りが含まれていた。
 黒猫はにやりと唇を真横に引き伸ばし、細めた赤目を鋭く見据えるラクヤへと向けた。
「オレはダーク様の使いだ。」
 はっきりとそう喋る黒猫は、教会の扉を真空の風で吹き飛ばす。いや、外に待ち構えていた異物なる魔物達が、火の玉を吐いて一瞬にして焼き尽くした。
「レギオン!」
 ラクヤは、異物達に対し罵声を浴びせた。
 人々は、この世の者とは思えぬ奈落にあると言い伝えられている魔界という世界の者を、総称してレギオンと呼んでいる。心衝王ダークマターもその内に入り、人々に恐れられている存在である。
「ミズキよ、さっさとアレを渡せ。苦楽の両端、どちらか一方の道しかないのだとすれば、簡単ではないか。」
 黒猫は、耳を逆立てた。闘志を剥きだしにして、一言でも黒猫の背に待つレギオンどもに声を掛ければ、このアプラスの港街は一体どうなってしまうのか。ミズキは、考えるだけでも恐ろしかった。以前に、何度その残虐な現場を目にしたか。
「苦楽の道。楽の道は、お前の持つ聖剣を渡す事だ。苦の道は、お前の持つ聖剣を渡さない事だ……だが、この道はお前等人間に取れば恐ろしい現実を目の当たりにするだろう。」
 黒猫の誘惑に、ミズキは顔を歪めた。選ぶ道は、最初から決めていた。しかし、自分のその決断でラクヤや神父がどうなってしまうのか、彼には考える余地は与えられなかった。
 ラクヤは、レギオンからずっと目を離していない。パブロ神父がそれに気づいた。神父のその表情は、唖然だった。
「双方の道のどちらを選ぶか、好きにさせてやろう。」
「わ……渡すわけにはいかない!」
 黒猫の言う苦の道を選んだミズキの姿勢に、冷酷な笑みが零された。
「ほほう。ならば、取り引きだ。」
 黒猫のその声は、酷く部屋中を反響したような気がラクヤ達三人に過ぎった。
 ミズキは、背中に大事そうに提げていた一本の細身の剣を両腕で強く抱える。黒猫が語ったアレ、聖剣である。渡すなんて事は毛頭も考えていないミズキは、警戒の意を黒猫に向けていた。
 しかし、その剣は意図もあっさりと奪われた。
「……お前なのか……お前が俺の村を!」
 罵声と共に、剣先は黒猫のレギオンの大群へと差し向けられた。剣の柄を握り締めるラクヤの表情は、ミズキやパブロ神父をかなり驚かせた。圧倒された二人の事は気にも掛からない様子で、ラクヤは黒猫に斬り掛かった。
 だが黒猫は持ち前の素早さにより、ラクヤの使い慣れなさの目立つ大振りの剣は空を斬らされた。クックックッ、と黒猫の怪しい笑い声が低く響く。
「ふん、知らんな。」
「ふざけるなああぁぁぁ!!」
 再び剣を振り被らせるラクヤに、ミズキはその手を握って止めた。
「落ち着いてよ! その剣はただのなまくら……、だから。」
 ミズキはラクヤから聖剣を取りあげた。武器を盗られたラクヤは、感情の高ぶりによって切らした息を荒々しく整える。
 黒猫は、ニャアオと一声鳴いた。すると、レギオンどもは教会の前から離れ、街の住宅街へと目にも止まらぬ速さで羽ばたいて行ってしまった。
「後での後悔は無用だ。」
 物腰よく歩いて去ってゆく黒猫の高笑いが、ラクヤ達三人の耳に張りついた――。



 腐敗臭。吹きあがる灰。どこまでも昇る煙。
 教会の屋上に立つラクヤ、ミズキ。二人が、この場に登った時の最初に見た景色がこれらだった。レギオンは既に街を離れ、黒猫もどこかへと姿を消した。
 真昼間の日差しに照らされたアプラスの港町は、瞬時にして滅ぼされた。
 ラクヤは、平常心を装うだけが精一杯だった。ラクヤの両親は、殺された。レギオンの大群に、彼の故郷諸共に。その残酷な景色を、また見る事になってしまった。
 両親の死に直面した彼は、感情を押し殺した。
 考える未来は、ただひとつ。両親の、そして村の者達の敵を討つ機会を、平和なこの港街で身寄りのない彼を気づかってくれるパブロ神父と一緒に窺っていた。教会にダークマターの資料が置いてあったのも、その理由である。
「……。すまなかった。」
 最初に斬り掛かった時に、あの黒猫を殺っていれば。ラクヤは謝罪の言葉を述べると同時に、唇を噛み締めた。
「……どうして、ラクヤが謝らなくちゃならないの……?」
 ラクヤの心づかいに納得のいかないミズキは、涙声で首を振った。
「ぼくの一族は、ダークへの唯一対抗できる神様から授けられた武具、聖剣を授かった。ずっと守り通してきたけど、ある時、ぼくの村が襲われた。結界を張っていて魔界の奴らは出入りできないようになっていたのに。……ダークに心奪われた人間が、村を襲って……みんなみんな、やられちゃった。ぼくだけが残った。ぼくだけが……。」
「……。」
 言葉を綴るミズキの声がいまにも頽れそうで、ラクヤは見てはいけないとミズキから目線をそらした。
「……ぼくが悪いんだ。ぼくひとりだけが残っただけに、また街を滅ぼされた……。」
 言いながらミズキは膝をついて、両手で握る聖剣へと見やった。
 金属特有の光を持つ刃先は、戦うための武器として作られた訳ではないので、美しさが一層際立っている。その輝きがミズキにとって憎くて堪らなかった。
「こんな物……こんなもの……ッ!!」
 溢れた涙を腕で拭き、聖剣を振りあげ地面に強く突き刺した。ミズキは呆けたように座り込んだ。
 ラクヤは、ミズキに背を向けるようにして胡坐をかいて腰掛けた。冷たい風が、二人の間を駆け抜ける。
「“逃げるな、運命からは逃れられない。”」
「えっ……?」
 ふと呟いたラクヤの小言に、ミズキは思わず聞き返した。
「いまのは、死んだ父さんが言っていた言葉だ。」
 語りながら、ラクヤは胸元を右の掌で優しく抑えた。
「俺も、持っているんだ……ここに。なんだったのかは、いまとなってはわからない。戦火の中、父さんに、俺の体の中になにかを隠してくれたんだ。父さんは言った、“運命からは逃れられない。だが、ひとかけらの勇気さえあれば、運命なんてちっぽけなものだ。”」
「……勇気?」
「ああ、そうだ。俺は、父さんの勇気を託された。父さんは村を襲うレギオンの大群にただひとり立ち向かい、そして……殺された。村のみんなも、殺された。……お前と同じだ、俺だけが残されたんだ……。」
「……ラクヤ。」
 ミズキは、真後ろに座るラクヤの方へと振り向いた。彼の背中が、弱々しく震えていた。
「……逃げたんだ、俺だけが。俺ひとりが逃げて、この街を訪れた。……ずっと、悔やんでいた。……ずっと、敵討ちを考えていた……。」
 震えの止まらないラクヤの肩を持つ。ミズキは、ねぇ、と声を掛ける。
「ダークはね、聖剣を使って世界征服を企んでるんだ。聖剣は、持つ者によっては、悪にもなり善にもなる。使いようによっては……その、ダークを倒せるかもしれないんだ。……でも、でも……! ぼくはどうしたらいいの? 今更ダークを倒したとしても、ぼくの村もラクヤの村も、二度と帰ってはこないんだよっ!? ……ぼくは、どうすれば、……。」
 突然、ラクヤはすっと立ちあがった。聖剣を抜いて、涙で顔を濡らしたミズキを真正面から見つめた。
「運命は、変えられる。ひとかけらの勇気さえあれば。」



 日が暮れて、辺りは黒々しい闇に包まれようとしていた時、教会の壊れたままの扉を潜る人物があった。
 パブロ神父見送る、ラクヤとミズキ。ラクヤの手には聖剣の柄が握られてある。そして二人の前には、一匹の赤目の黒猫がまっすぐに背を伸ばして座っていた。月明かりのない暗さでは、よく目を凝らして見なければ、黒猫の居場所が確認できない。
「クックックッ。お前等に倒せるモノか、楽しくて仕方ない。」
 嘲るような笑い声が、二人を誘った。ダーク様の城へ案内する、と。
「……行くぞ。」
「うん。」
 険しい表情を浮かべながら強く頷き合う二人は、黒猫の歩く軌道を追って密集した森の中へと入ってゆく。
 するすると吸い込まれるようにして淡々と進んでゆく黒猫に対し、ラクヤ達は足元を木の根っこなどに奪われて転ばないかを注意して歩くのがやっとだった。まさに闇そのものの森林の中、二人は無言で安全な木の枝を頼りに突き進む。
 森が開けた時には、ラクヤは既に疲労たっぷりを抱えていた。子供で小柄のミズキとは違い、ラクヤは背が高いので、頭上の太い枝にも注意を払わなければならなかった。ミズキの大丈夫? という問い掛けに、ラクヤは無言で頷いた。
 黒猫が中庭の中央付近に足を止める。そのすぐ前には、おんぼろの上にモノクロで彩色された不気味な馬車が停滞していた。引っ張る馬の毛並みも真っ黒である。馬車の扉は独りでにキイィッと音を立てて開かれる。
「乗るがいい。」
 黒猫の言われた通りに、ラクヤは有無を訴えず先に馬車の中へと乗りあげた。ミズキが若干躊躇っているのに気づき、別に問題ないとラクヤは低い声でつけ加え、ミズキを馬車の中へ誘った。
 扉がまたキイィッと閉められて、馬が一声鳴いて走りだす。
 宙を浮き、空へ高度を上げながら飛んでゆくのを、ラクヤは馬車の小さな窓から覗き込む。村や街の明かりは見当たらない。パブロ神父のいるはずの教会の明かりでさえも……。なんでだろうとラクヤが疑問を口にしようとした瞬間、景色はがらりと変わってしまった。
 高度を降ろして行く先に、厚い積乱雲を纏わりつかせた城が物々しく聳えていた。雷が轟き、その時の光によって浮かびあがった城の姿は、とんでもなく汚らしい黒さを伴っている。なにもかもが黒い。魔界というに相応しい場所と判断するに異存はなかった。
「……ラクヤは、怖くないの……?」
 恐怖に怯えるミズキが、ラクヤの片腕を抱いた。
「ミズキ、信じるんだ。俺達は決して負けない、勇気なくして討ち勝てるものはなにもない。」
「うん、そうだよね。……なんだか、ラクヤが頼もしいなぁ。初対面の時は、すっごく暗そうで話し掛けるだけでも、勇気が必要だったよ。」
「……。」
 ちょっぴり微笑むミズキの笑顔に、少し納得いってなさそうなラクヤは不機嫌そうに前へ向き直った。
 降り立った馬車から飛び降りて、二人は城の前に並んだ。ミズキが、ラクヤの持つ聖剣の刃が光りはじめたと思った時、城門の重々しい扉が徐に開かれた。
 扉を潜り、城の外観とほぼ変わらぬ大きさを持つ広間に辿り着く。
 二人の前には、やはり黒色をしたマントを羽織る人間の姿をしたひとりの男の姿があった。奴こそが、ダークマターその者である。
「ふふふ。今更のこのことやってきおったか、だが遅いぞ。我の下僕が焼き払った人間は、もう生き返らぬわ。」
 黒猫の声のトーンを落としたような声が、ダークマターから発せられた。
 ラクヤ達はダークマターの元へ、一歩一歩、床を踏み締めながら近寄る。黒々しい姿が近づくにつれて、二人はいまにも喪失してしまいそうな意識を振り絞った。
「まあ、良かろう。大人しくその聖剣を渡せ!」
「嫌だ!!」
 急に張りあげられたダークマターの雄叫びにも、全く動じない二人。
 しかし、ダークマターは嘲り笑い、ラクヤ達を恐怖へのどん底へ誘うような言葉を掛け続ける。
「我を殺せるとでも思うのか?」
 ラクヤは、ダークマターの言葉を極力耳に入れないように集中し、両手で握った聖剣を高々と掲げた。あとからミズキがラクヤの手を掴み、笑い掛ける。ぼくなら、怖くない。ひとかけらでも、ぼくの中に巡る勇気がぼくを安心させてくれるから。
 ラクヤとミズキは微笑して頷き合い、二人の四本の手が聖剣を強く支えた。ラクヤとミズキの、二人が募らせるひとかけらの勇気に反応したのか、聖剣が強力な白い光の輝きを伴いはじめた。
「な、何事だ……!?」
 それまでとは打って変わって、うろたえた仕草を見せるダークマター。聖剣の輝きは次第にどんどん増してゆき、頂点まで光った瞬間、光は辺りに物凄い速度で拡大した。光はダークマターを包み込み、断末魔の悲鳴を上げさせた。
「失せろおおぉぉぉ!!」
 叫ぶラクヤの身体からも、一筋の光が幾つも飛び交った。ラクヤは父親の匂いを感じ、ふっと緊張していた表情を綻ばせた。
「……父さん。」
 流れ星のような細身の光は、ラクヤの身体を囲いながら飛び回る。聖剣の光が城全体を包み込んだ時、ラクヤは細身の光も空へ舞いあがったような気がした。

“運命は、変えられる。ひとかけらの勇気さえあれば。”

 運命という名の細身の光は、遠い遠いどこかへと散った――。


「――くや、ラクヤってば!」
 ミズキの声に、ラクヤは疲れが溜まった重い身体を起こした。
 ラクヤの目の中に飛び込んできたのは、レギオンの大群によって滅ぼされたはずの港街アプラス。街の人々は、平然と暮らしている……みんながみんな、レギオンに焼き尽くされてしまったはずなのに。
 一瞬、ラクヤは全てが夢だったのではないかと戸惑った。しかし、ミズキがここにいる以上、その考えは通用しないという事も、彼はすぐに理解した。
「……どういう事だ?」
 思わず主語も修飾語も繋げずに、ラクヤはミズキに問い掛けた。ミズキはその問い掛けの意味をしっかりと把握して答える。
「ぜーんぶ! ラクヤのお陰なんだよっ!」
 満面の笑みを浮かべるミズキの言葉に、ラクヤは微かに首を傾げた。
「ぼくとラクヤの勇気でダークを倒したんだよ。んで、ラクヤの身体から飛んでいった力がダークに滅ぼされた人々を生き返らせたんだよ。運命が変わったんだ! ラクヤ、すっごーいっ!!」
 感激に一人浸るミズキに、ラクヤは呆気に取られながらも右の掌で胸元を抑え、見やった。
 父さんの匂いは、あの一筋の光達からのものだったのか。
 ラクヤは一人勝手に納得しながらも、朗らかな気分に胸を膨らませながら、静かに目を瞑った。
「……父さん、ありがとう……。」








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20050619
創作ネタ提供者 カツラギ氏 Thanks!